こんにちは。福田泰裕です。
多くのドラマと事件を生み出したセンター試験。
センター試験事件簿として、5年ごとにまとめてみました。
その1【1990年~1994年】はこちら👇
今回はその2【1995年~1999年】です。
この5年間は新課程への移行、それによる得点調整の導入や公立大学の中期日程の開始など、大学入試が大きく動いた期間となっています。
ぜひ最後まで読んでください!
目次
【1995年 第6回】阪神淡路大震災で「受験機会の確保」が叫ばれる!

1995年1月14日(土)と15日(日)にセンター試験が何事もなく行われました。
そしてその2日後の1995年(平成7年)1月17日。
阪神淡路大震災が発生しました。
これによって神戸の街は大きな被害を受け、高速道路や新幹線の線路が崩壊し、交通網にも大きな影響を与えました。
センター試験は「本試験」と「追試験」があり、追試験は1月21日(土)と22日(日)に行われる予定で、当初の予定では東会場は東京大学、西会場は京都大学のみでした。
しかし、近畿圏の交通は大混乱の状態です。
このような状況でも受験生の受験機会を確保するために、大学入試センターと各大学は受験生のために動きました。
西日本会場の京都大学周辺は、大震災による大混乱で交通機関への影響も配慮して、この年は特別に追試験の受験会場が九州大学にも設置されました。
また、各大学は入試シーズンを目前に控えていたため、緊急事態での入試を実施することになりました。
出願期間の延長、試験日程の変更、試験会場の変更・増設、『特例入試』などを行いました。
※『特例入試』 旧文部省や大学関係団体からの要請を受け、大学は被災者を対象とした『特例入試』(再試験)を一般入試の終了後に実施しました。 国公立大学の『特例入試』は、国立95大学、公立48大学で実施され、 志願者は1,479人(国立497人、公立982人)、 受験者は1,440人(国立482人、公立958人)、 合格者は347人(国立89人、公立258人)、 入学手続き者は329人(国立89人、公立240人)でした。 志願者数は近畿圏の大学が多く、 国立大学では神戸大学が249人(うち26人が入学)、 公立大学では大阪市立大学が354人(うち81人が入学)、 私立大学では近畿大学が824人(うち143人が入学) となりました。 |
この他にも国公立大学では、被災者の志願者の出願締め切りを2月1日『必着』から『消印有効』に変更するなどの措置が取られました。
また、神戸大学では前期試験と後期試験の日程をそれぞれ1日ずつ繰り下げ、試験会場も神戸大学の他に大阪大学と岡山大学にも設置して行われました。
【1996年 第7回】次年度から新課程!受験生は…

この年の受験生は焦っていたことでしょう。
なぜなら、1つ下の学年からは新しい学習指導要領による新課程の学年となるため、浪人すると新課程で学習してきた後輩たちと競争することになるからです。
浪人すれば1年間センター試験の対策に没頭できますが、試験が新しくなっては対策が難しくなります。
そのため記録には残っていませんが、きっと『安全志向』の出願が多くなったと思われます。
そんな不安の中、浪人生のために大学入試センターは「次年度は新課程用の問題と旧課程用の問題をそれぞれ用意し、受験生は選択できる」ようにすると発表しました。
多くの受験生は安心したと思いますが、それが事件の始まりでした。
【1997年 第8回】新課程と旧課程で大きな得点差!得点調整は?

1997年は、ちょうど学習指導要領が改訂されて新課程入試の初年度だったため、浪人生のために旧課程用と新課程用の2種類の問題が用意されました。
しかし、旧課程用の平均点は、新改訂用の平均点より22点も低かったのです!
これに対する大学入試センターの対応は、

というものでした。
また、センター長がテレビで言いました。
「浪人生の皆さん、社会に出たらもっと大変なことがあるんですよ!」
…酷すぎませんか?
また、理科においても物理IBが70.71点、生物IBが51.73点と約19点の差があり、この年を境に「得点調整をすべき」という考えが出てきました。
【1998年 第9回】初の得点調整実施!保険医団体からの意見書も!?

昨年の『20点差事件』の翌年の1998年。
大学入試センターは次の教科・科目を対象に得点調整の復活を決めました。

原則として「平均点に20点以上の差」があり、これが「試験の難易差」によるものであると認められた場合に得点調整を行うとされました。
そして早速、事件が起こります。
地理Bと日本史Bの平均点が以下のようになりました。
平均点 | |
---|---|
地理B | 77.13点 |
世界史B | 61.12点 |
日本史B | 56.32点 |
地理Bと日本史Bの差は20.81点となり、いきなり得点調整が実施されることとなりました。
得点調整は『分位点差縮小法』が取られ、中間層に大きく点を与え、上位と下位は加点を小さくするもので、1~7点の範囲で加点されました。
具体的には、世界史Bでは31~46点、日本史Bでは43~57点の者に7点を加え、 世界史Bでは7点以下97点以上、日本史Bでは5点以下99点以上には加点しない、というものでした。
また、この年の英語の第5問でも事件がありました。
第5問では虫歯治療に関する英文が出題されたのですが、この内容が歯科技術にまったく反するものだったため、全国保険医団体連合会鹿協議会会長から意見書が提出されました。
歯学部を狙う受験生たちは、どんな気持ちで英文を読んでいたのでしょうか…。
【1999年 第10回】公立大学の中期日程による入試が開始!

センター試験ではありませんが、大学入試に大きな変更がありました。
これまでは国公立大学といえば前期日程と後期日程の2度しかチャンスがありませんでした。
しかし、この年から公立大学の中期日程が始まり、最大で3度の受験のチャンスが与えられるようになりました。
中期日程は公立大学しか試験が行われないため高倍率な競争となりますが、受験機会が増えるので受験生にとってはありがたい変更です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回はセンター試験事件簿その2【1995年~1999年】をお話ししました。
その3【2000年~2004年】はこちら👇
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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